48回のぶんかつ

4年間の苦行を乗り越えろ!

6/19深夜 嫌いな事こそ頑張らないといけないのはホント?

平日は忙しくてブログを書く気力がないのですが、ふと家族と話している時に思ったことがあり、自分でも整理したくなって今日こんな時間ではありますが、ブログを書くことにしました。

 

「嫌いなものも食べなさい。嫌いな事こそ頑張りなさい。」

と我が子に教える親がよくいます。

 

世間的には何もおかしくないと思われているのかもしれません。

でも、それって正解なんでしょうか。

 

自分もそう教えてもらった気が。少なくとも前者は間違いなく言われました。

しかし、大人になった今、私はこう思うんです。

「嫌いな事は楽するように考えろ。好きな事はガムシャラに取り組め。」

 

私たち人間は、長い歴史の中で、いかに楽できるかを考えてきました。

火を起こすために昔は火打石を使っていたのを、糸と木の棒を使い簡単に火を起こせるように。それからもっと簡単に火を起こすためにマッチやガスを使ったライターを発明しました。

機械を発明して、人間が1つ1つやっていたものを機械に仕事させることができるようになりました。

AIがあるから、目覚ましを自分でセットしなくて済むし、わざわざ電話先の電話番号を調べなくても、名前を言えばその人に電話してくれるようになりました。

 

全ては

「この作業は面倒だから、もっと楽にならないのか」

という疑問から生まれてきたものです。そこからイノベーションが生まれていきます。

 

嫌いな食べ物があれば、どうすれば好きな食べ物になるのか考えれば良いでしょう。

ドレッシングをかける?肉多めにする?細かく刻む?

 

逆に好きな事は、何しても好きなんだから楽じゃなくたっていいんです。

自分の趣味であるフィルムカメラなんて、正にその最たる例だと思います。

 

嫌いな事をガムシャラにやったって、いい成果はでませんし、より嫌いになることは間違いありません。そうじゃなくて、どうやって楽するか。これを考えると、意外と面白いことに気づくかもしれません。

そうならなくとも、楽して普通な成果をあげるだけで一層の満足感を得られます。

 

これを中学生や高校生に言っても分からないかもしれません。

ですが親が正に"親身”になって、「こうすれば楽できるんじゃない」って教えてあげれば分かってくれるような気がします。教え続ける事で、子は「楽する」発想を自然に持ち、より発想力を豊かにすることができる。

 

そう感じています。

自分の子供ができたら、そういう教育を施してあげたいな、と思いながら疲れてしまったので、今日は寝る事にします。

 

記事にしたからか、すこし頭が整理できました。よく眠れそうです。

それでは、おやすみなさい。